社長あいさつ
弊社ホームページにお越し下さり誠にありがとうございます。
会社の情報発信としては、まだまだ十分ではありませんが、よろしくお願いします。
弊社は、そもそも沿革にありますように、中津市万田地区で養鶏所を営んでおりました。
その後、唐揚を中津では2番目に始めたと聞いております。町の中心にあった定食屋さんのから揚げを何度も食べて、真似て作ったと聞いております。 先代の会長は、ものを作るのが大好きで、唐揚を最初に作った時も、万田町内の人たちに食べてもらって、どの味付けが一番いいか相談していたそうです。
そもそもは、養鶏場の将来性に疑問を持ち、業種転換を行ったということです。その後、54年に唐揚屋から、スーパーマーケットに業種転換を行い、今に至ってます。
スーパーマーケットを開業したのは、「よりよいものをより安く」提供したいという一心で始めたと聞いています。その後、私が平成6年に戻ってきてから、経営理念を掲げ、会社運営を行っています。
経営理念
- 従事する一人一人の豊かな人格づくりと豊かな生活づくりに貢献する。
- 客さま一人一人に安心、満足していただく
- 健全な国家社会づくりに貢献する
従業員の豊かな人格づくり、と豊かな生活づくり、を実現しなければ昨年末起こしたような食の安全を脅かす事態を招きかねません。 優先順位を間違うと同じ事が起きることとなります。そうすると、2番目の項目、お客様に安心・満足をしていただくことはできません。 何のために私たちが仕事をしているのか、ということに立ち返らなければなりません。
弊社は、地域の食の安全、おいしい食材、そして本物、を提供し、お客様の食文化の向上に努めていかなければなりません。
「細川が基準」を思って頂けるように鋭意努力してまいりたいと思います。
東北大震災に関しても、国家危急の場面でできることを、ベストを尽くして行うということで、現地に多く食材を送るお手伝いもしてまいりました。
また、現地に何度か足を運んで食のお手伝いをしてまいりました。
食を通して、中津の発展、そして日本の発展に寄与できるように努力してまいりたいと思います。
まだまだ、若い会社で、経営者も若く、従業員も若い、経験不足が否めない部分もございますが、地域に役立てるように頑張ってまいります。
どうぞよろしくお願いします。
心掛けていること(広池千九郎先生のお言葉)
「大勢には、善きものと悪しきものとあり。
大勢に逆行するもの、または順応するものは滅ぶ。
順応しつつ真理を守るもの残る。」
「至誠息無」
会社概要
会社名 | 株式会社スーパー細川 |
---|---|
設立 | 1982(昭和57)年7月 |
従業員数 | 120名(アルバイト・パートを含む) |
店舗 | 万田店、沖代店、豊前店(福岡県)、青豊店(福岡県) |
スーパー細川の歴史
戦後 | 細川 新が養鶏場を開く |
1958年 (昭和33年) | 細川種鶏孵卵場を始める |
1970年4月 (昭和45年) | 先代からの種鶏孵卵場をやめ、細川 國廣が “細川からあげ屋” を始める。 そこから、「小さな寄り合い所帯」のように”魚屋” “肉屋” “八百屋” “食料品屋” と広げて行く。(昭和54年まで) |
1978年9月20日 (昭和54年) | 営業していた店舗の前に、100坪の当時本格的なスーパーマーケットが開業。 これにより、「小さい寄り合い所帯」の売上は落ち込むこととなる。ただ、食べてはいけないほど苦しい訳でもなかった。 ある日、いつもうちに買いに来てくれるお客様が、店の前を通らずに、遠回りをして、ライバル店に行っているのを、偶然専務が見かけてしまった。 このことにより、自店の品揃えの悪さが、お客様に迷惑を掛けているのだと痛感し、ライバル店と同規模の店舗を作ることとなった。 |
1982年7月14日 (昭和57年) | 有限会社スーパー細川を設立 |
1988年4月 (昭和63年) | スーパー細川沖代店を開店 |
1994年2月 平成6年 | スーパー細川豊前店を開店 |
1997年2月1日 (平成9年) | 有限会社スーパー細川から「株式会社スーパー細川」に変更 |
2007年8月29日 (平成19年) | 細川 唯が代表取締役に就任 |
2013年7月 (平成25年) | セントラルキッチン(惣菜工場)開設 |
2018年11月 (平成30年) | FareMarket(ファーレーマーケット)開設予定 |