会社案内

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代表挨拶

1. 従事する一人一人の豊かな人格づくりと豊かな生活づくりに貢献する。
2. 客さま一人一人に安心、満足していただく
3. 健全な国家社会づくりに貢献する
弊社ホームページにお越し下さり誠にありがとうございます。
会社の情報発信としては、まだまだ十分ではありませんが、よろしくお願いします。
弊社は、そもそも沿革にありますように、中津市万田地区で養鶏所を営んでおりました。その後、唐揚を中津では2番目に始めたと聞いております。まちの中心にあった定食屋さんのから揚げを何度も食べて、真似て作ったと聞いております。 先代は、ものを作るのが大好きで、唐揚を最初に作った時も、万田町内の人たちに食べてもらって、どの味付けが一番いいか相談していたそうです。 そもそもは、養鶏場の将来性に疑問を持ち、業種転換を行ったということです。その後、54年に唐揚屋から、スーパーマーケットに業種転換を行い、今に至ってます。 スーパーマーケットを開業したのは、「よりよいものをより安く」提供したいという一心で始めたと聞いています。その後、私が平成6年に戻ってきてから、経営理念を掲げ、会社運営を行っています。

従業員の豊かな人格づくり、と豊かな生活づくり、を実現しなければ食の安全を脅かす事態を招きかねません。 優先順位を間違うと同じ事が起きることとなります。そうすると、2番目の項目、お客様に安心・満足をしていただくことはできません。 何のために私たちが仕事をしているのか、ということに立ち返らなければなりません。 弊社は、地域の食の安全、おいしい食材、そして本物、を提供し、お客様の食文化の向上に努めていかなければなりません。 コロナ過を経て、新しい社会環境になってまいりました。食の安定供給が危ぶまれる時代になってまいりましたが、地元の食材を安定供給することができる地域循環の仕組み作りが重要です。地元の野菜や地元の水産物を常に地元のお客様に安定供給することが重要です。これは、生産者から流通・加工業者(弊社)お客様という1つの流れを循環させることにより、安定した生産と安定した食材の供給を実現しなければなりません。ともすれば、価格に目を奪われ安いものに流れてしまいがちですが、そこをみんなで、地元の生産者を応援できるような取り組みをしていかなければなりません。地域で、生産者の皆様やお客様に必要とされる会社になれるように努力してまいります。

心掛けていること
(広池千九郎先生のお言葉)
「大勢には、善きものと悪しきものとあり。大勢に逆行するもの、または順応するものは滅ぶ。順応しつつ真理を守るもの残る。」
「至誠息無」

会社概要

corporate

会社名

スーパー細川

設立

1982(昭和57)年7月

従業員数

150名(アルバイト・
パートを含む)

店舗

万田店、沖代店、豊前店(福岡県)、セントラルキッチン

history

歴史

戦後

細川新が養鶏場を開く

1958
(昭和
33年)

細川種鶏孵卵場を始める

1970
(昭和
45年)

先代からの種鶏孵卵場をやめ、細川國廣が “細川からあげ屋” を始める

1958
(昭和
33年)

細川種鶏孵卵場を始める

そこから、「小さな寄り合い所帯」のように
“魚屋” “肉屋” “八百屋” “食料品屋” と広げて行く。(昭和54年まで)

1978
920
(昭和
33年)

営業していた店舗の前に、100坪の当時本格的なスーパーマーケットが開業

これにより、「小さい寄り合い所帯」の売上は落ち込むこととなる。
ただ、食べてはいけないほど苦しい訳でもなかった。
ある日、いつもうちに買いに来てくれるお客様が、店の前を通らずに、遠回りをして、
ライバル店に行っているのを、偶然専務が見かけてしまった。
このことにより、自店の品揃えの悪さが、お客様に迷惑を掛けているのだと痛感し、
ライバル店と同規模の店舗を作ることとなった。

1982
714
(昭和
57年)

有限会社スーパー細川を設立

1988
414
(昭和
63年)

スーパー細川沖代店を開店

1988
414
(昭和
63年)

スーパー細川沖代店を開店

19942
(平成
6年)

スーパー細川豊前店を開店

199721
(平成
9年)

有限会社スーパー細川から「株式会社スーパー細川」に変更

2007
829
(平成
19年)

細川 唯が代表取締役に就任

20137
(平成
25年)

セントラルキッチン(惣菜工場)開設

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代表挨拶

戦後
戦後

細川 新が養鶏場を開く

昭和33年
昭和33年

細川種鶏孵卵場を始める

昭和45年
昭和45年

先代からの種鶏孵卵場をやめ、細川 國廣が “細川からあげ屋” を始める。

そこから、「小さな寄り合い所帯」のように“魚屋” “肉屋” “八百屋” “食料品屋” と広げて行く。(昭和54年まで)
昭和54年
昭和54年

営業していた店舗の前に、100坪の当時本格的なスーパーマーケットが開業。

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1958年
1958年

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